
Kaldi’s
travels
“ドドドドド… ドドドドド…
不気味な地響きだ、まだ余震が続いているのか…。
ドドドドド… ドドドドド…
「ペンヴァニア山の麓、あの山小屋に俺の仲間がいる。いつか話したラングホーン博士だ、わかるな?」
あれ、この人…
「トラックはお前が転がせ。いいか、誰にも勘づかれるな?無事にこいつを届けろよ。荷台に毛布に水と食料が積んである、ついでにそいつも届けてやってくれ。ひとっ走り頼むな。この薬は博士の極秘だ。誰にも渡すことのないように、くれぐれも頼んだぞ」
えっと……
ドドドドド… ドドドドド…”
ドンドンドンドン! ドンドンドンドン!
「ん…」
ドアをノックする音で、目が覚めました。
どうやら椅子に腰かけたまま机に突っ伏していたらしく、目の前に書きかけの日誌が見えました。
夜に灯したランタンも、ロウソクがすっかり溶けて黒い綿糸だけが残っていました。
ホヤ* に視線を移すと、一匹の白いネズミの姿が映っていました。
*1:ランタンのガラスの部分
「おはよう、ベッドで寝そこねたマヌケな僕」
情けなさそうに微笑むと、目の前の窓へ視線を移しました。射しこむ日の光が、寝起きのネズミをやさしく包み込みます。
その場で軽く背伸びをし、ついでに大きなあくびを一つすると、窓に手をかけゆっくり外の風を部屋へ招き入れました。
大きく深呼吸すると、空気のおいしさに思わず笑みがこぼれます。
「僕はマヌケだけど、今日も元気一杯、そりゃ幸い!」
ドンドンドンドン! ドンドンドンドン!
「おいカルディ、いるんだろ!?」ドアの向こうで甲高い声が聞こえました。
「おっといけない、ちょっと待って!」ドアに向かってそう叫ぶと、カルディは大急ぎで雨水樽の部屋へ走って行きました。
雨水樽とはその名の通り、雨水を溜めておく為の樽のことで、カルディはそれを生活用水として大事に使っていました。
樽にはネズミサイズの小さな蛇口がついていて、必要な分だけ水を使うことが出来ます。
小さなボウルに水を溜めると、大急ぎで顔を洗いはじめました。
ドンドンドンドン! ドンドンドンドン!
「おいカルディ、まだなのかい!?」ドアの向こうで甲高い声がセカセカしています。
カルディには“甲高い声”が誰なのか分かっていました。
干してあった綺麗なタオルに手を伸ばし、中途半端に毛づくろいをしながら玄関へ向かうと、そっとドアを開けました。すると、大きな瞳のカエルがソワソワしながら立っていた。カエルは何か言いかけると、すぐに目を細めました。
「おい、なんだいそりゃ!シャツもズボンもベストも泥だらけ!今旅から帰ってきたように見えるぜ?
ははぁ~ん、さては昨日旅から帰ってきてそのまま寝ちまったな?山猫にでも追いかけられたか?」
「やぁおはよう、君のノックが夢の中では地鳴りに聞こえていたよ。
顔は洗った、ちゃんと着替えるつもりだったさ。そう、君の要件を聞いたらすぐにね、ドリッパー!
こんな朝早くに呼び出してくれたんだ、聞かせてくれるのはきっと良いニュースなんだろうね?君が早朝にソワソワしてる時は大抵悪いニュースなんだから。」
「朝だって?今何時だと思ってる、もう“白の刻”だぞ!」
“白の刻”とは一日で一番明るい時、つまりお昼のことでした。
ドリッパーと呼ばれたカエルにそう言われ、カルディは日時計に目をやると、情けないと言わんばかりに微笑み、頭をポリポリかいてみせました。
ドリッパーはとてもあわてん坊でしたが、身だしなみや時間にはきっちりとしたカエルでしたから、寝起きのカルディが少し気になったようです。しかし要件を思い出したドリッパーは、またすぐにソワソワとし始めました。勝手にカルディの家へ入り込むと、そっとドアを閉めました。
「あまり大きな声では話せない!このカフワベルトの森全体が騒ぐことになる!」
「森が騒ぐ?何が一体どうしたって?まぁ落ち着けよ。何も出せないがホットジュースなんてどうだい?」
「ああ、そりゃいい考えだ!ありゃ飲むと心がホッとするんだもの!少しは落ち着けるかもしれない」
「座って待っててくれ」
カルディは小さな木のテーブルとイスを指差し台所に向かいました。
小さなお鍋に火をかけお湯を沸かし始めました。そして戸棚から小さな小瓶と二つのコップを取り出しました。ついでにハチミツと生姜も。小瓶の中には花梨とレモンが、氷砂糖とビネガーの溶け合って出来た甘酸っぱいシロップの中でプカプカと浮いています。コップに、木のスプーンでほんの少しすくって入れ、ハチミツと生姜を少々加えました。
ハッと思いだしたように旅荷物のザックの中をあさると、小さな麻袋を取り出し、中身を綺麗に木の小皿に並べました。
「お湯が沸くまでもう少し待っててくれ、その間これ、良かったら食えよ。うまいぞ~」
「わぁ~カルディ!これマタリおばさんの松の実クッキーじゃないか!」
マタリおばさんとは、このカフワベルトの森に住むハツカネズミのおばさんでした。森一番料理が上手で、家族のいないカルディのことを何時も気にかけてくれる、カルディにとっては優しいお母さんのような存在でした。
「夜中に旅から帰ってきたんだが、たまたまおばさんが訪ねてきてくれたんだ。「何も食べてなさそうな顔だから食べなさい」だって」
「ならこれは君が食べないと!オイラ受け取れないよ」
「全部あげるとは言ってないだろ?一緒に食べようぜって言ったんだ」
「なぁんだそういうことなら!」
ドリッパーは小さな松の実クッキーを一口頬張ると、その甘さに思わずうっとりしました。それまで落ち着きがなかったのが嘘のよう。
カルディも一口頬張ると、これこれ!と言わんばかりにうっとりすると、満足そうに溜息一つ。そしてまた台所に戻っていきました。
お鍋のお湯が沸騰しない内に火を止め、コップに注ぎました。甘い香りが小さなネズミの巣穴いっぱいに広がります。
カルディはドリッパーの前にコップを置くと、自分も椅子に腰を下ろしました。そしてクッキーの乗ったお皿を見て思わずびっくり。
「おい!沢山あったのにもう3枚しか残ってないじゃないか!」
ドリッパーは答えるかわりに小さくげっぷをしました。カルディはドリッパーから皿を奪い返すと、奪われまいと3枚のクッキーを小さな口に頬張りました。「それで?何があったって?」そう、もぐもぐしながらドリッパーに問いました。
カルディの問いに急に我に返ったドリッパーは、口の前に指を立てると「シーッ!」と注意を促しました。急にソワソワし始めたドリッパーにカルディはホットジュースを勧めました。ドリッパーは小さく震える手でジュースを一口。そして身を乗り出し小声でこう言いました。
「殺し屋ジャンクス兄弟がくる」
その単語を聞くなり、カルディは額にしわを寄せました。
やっぱり良い話ではなさそうです。
カルディはヒゲをピクリと動かすと、クッキーをホットジュースで流し込んだ。そっとコップを置くと小さな声で「ジャンクスって言ったか?」声を低くして言いました。
真剣な表情に、ドリッパーは大きく頷きました。
"殺し屋ジャックス兄弟"とは、ヤマカガシと青大将と呼ばれる大きな蛇の兄弟でした。
本当の兄弟ではないものの、出会ってから本当の兄弟のように行動を共にしている2匹の蛇でした。突然池にやってきてはヒキガエル奥さんの子ども達を丸呑みにしただとか、木の上を這って鳥達の巣を荒したとか、森の小さな村を破壊しただとか…あちこちの森ではどうも良くない噂ばかりが流れていたのです。ジャンクス兄弟に睨まれた者はたちまち動けなくなる、という恐ろしい噂まで流れていました。大分前、その被害に遭ったのが小さな2匹のトカゲです。動けなくなったところ噛み付かれて怪我をしてしまいました。しかしそのトカゲ達は、一人の人間の男の子によって保護さました。今ではスピラエアとゼルコバという名前まで付けてもらっているという話です。
「ドリッパー、そいつは確かか?」
「イブリックが言ってたんだ、間違いない!あいつはあわてん坊なポストマンで新聞記者だが、流す情報は確かだ!それは君だって知ってるだろ?」
「イブリックはこのカフワ(カフワベルトの森)で最も優秀なツバメだからな。彼はどうしてその情報を知ったんだろう?聞いてみようぜ」
「ああ、ただ本当に急がないと森中がえらいことにな…」
ドリッパーが言いかけると、突然家の扉が開かれ何者かが転がり込んできて、カルディとドリッパーをテーブルや椅子と一緒に吹き飛ばしました。
それは自分たちよりも大きな黒い鳥で、怪我をしているのか地面でジタバタとしていました。カルディはその鳥に見覚えがありました。
「イブリック!」
家に転がり込んできたのは、噂をすればの、ツバメのイブリックでした。
そして家の外からイブリックを探す森中の動物達の声が聞こえてきました。その声は恐怖や怒りにみちていました。
悟ったドリッパーは勢いよく起き上がると、家の扉を閉め鍵をかけました。
カルディはイブリックの顔を覗き込みました。
「イブリック、イブリックどうした、しっかりしろ!どうしたんだ!?」
イブリックはカルディを見上げると「どうか裏口から逃がしてくれ」と頼みこみました。
ドリッパーはイブリックに歩み寄ると、「まさか!」と息を飲んだ。イブリックは「ごめんよ…。あのおしゃべりカッコウ鳥め!!」と羽をジタバタさせた。ドリッパーは手で顔を覆うと静かにうなだれた。カルディは指をパチンと鳴らした。
「事態はよくわからない。が、僕が推測するに…イブリックが耳にしたジャンクス兄弟の噂を、おしゃべり屋のカッコウ鳥が森中にばらしてしまった。何故早く言わなかった、と皆がイブリックを怒ってる、違う?」
「流石は親友、おっしゃる通りだぜ。ねぇ、どうしたらいい!?」
「カルディ、ドリッパー…すまない…。事態を大きくしたくはなかったんだが…あぁ、ごめんよ…オイラとしたことが…」
「いや、知らせてくれて有難うイブリック。やっぱり君は最高のポストマンで最高の記者だよ!君がいなかったらジャンクス兄弟に備えることが何もできなかったろうさ」
カルディは、そばに落ちていたイブリックのツバメ帽子を拾って頭にのせてやりました。イブリックは心救われた思いで誇らしく微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。そして肩から提げていたツバメ鞄をあさると、カルディに一枚の紙切れを手渡しました。
「カルディ、君には全てを話すことが出来そうだ。その紙はジャンクス兄弟のことを伝えてくれたカラスから預かったものだ」
「カラス?」
「ああ、首からカメラを提げてるあのカラスさ。旅ネズミの君なら一度は会ったことがあるだろ?」
「いいや」
「悪い奴じゃない。一度会ってみると良い、気の利いた良い奴さ!ラステートって名だが、一度人間のやつらに助けてもらったとかなんとかで、ベンって名前をもらったんだと。奴は気に入ってるようでラステートの名は捨てて、ベンとして生きてるんだとか」
「そりゃ良かった。しかし…この紙…何を言ってるんだ?」
紙には不思議な模様が書いてあります。カルディは紙を近づけてみたり遠く離してみたり、逆さまにしてみたり一部を折ったりしますが何も分かりません。
カルディとドリッパーは「さぁてわからん!」と声を合わせると、互いに顔を合わせ、ニヤリとしました。こう謎が解けない時に頼りになる仲間が一匹だけいます。
木の根の図書館で働いているカルディと同じ白い毛並みのネズミです。
カルディは旅の手帳と、旅先で手に入れたコーヒー豆の入った袋を少しばかりポケットにつめました。
イブリックを裏口から逃がしてやると、自分たちは表口から外へ出ることにしました。
外へ出ると、森の動物達がイブリックを探しています。そしてそれを楽しそうに空中見物しているのは、おしゃべりカッコウのドミノです。
カルディはポケットにつめたコーヒー豆をドリッパーに一粒手渡すと、顎でドミノを指しました。ドリッパーは悪戯そうに微笑みウインクすると、腰に提げていた愛用の銃に手をのばしました。シリンダーを横に倒しコーヒー豆をつめ、ドミノへ狙いを定めると、勢いよく発砲しました。
ドミノは短い悲鳴と共に地面に落ちていきました。驚きのあまり目を回しています。
「ハトじゃないが、豆鉄砲くらったな!サンキュー相棒」カルディはドリッパーの背中を軽く叩きました。ドリッパーは銃をホルスターに納めると、挨拶代わりにハットのツバをくいっとしました。
カルディとドリッパーは動物達をかきわけ、木の根図書館へと駆けていきました。