第4話 -野外活動と木の実の日-
低学年の下校時間。誰もが明日の野外活動に胸躍らせる中、アキだけはビルおじさんの庭をぼんやりと眺めていました。学校のことで困るといつだってビルおじさんのところです。「なんの役にも立てんおいぼれだが、お前さんが話してすっきりするようなら、いつだって来たらええ」そんな言葉をかけてもらったことがあったからです。
アキは明日の野外活動のことや、ムンクルと同じ班になってしまったことをビルおじさんにすっかり話しました。そうしている内、いつの間にか高学年の下校時間となりました。ビルおじさんは「家は牧場だろ?そろそろ帰らないと、お前さんの足では夜になっちまう」と、やんわり急かしました。アキはいつものように「お邪魔してごめんなさい」と頭を下げると、ため息をつきながら家路につきました。
町に差し掛かり、馭者の操る馬が目の前を通り過ぎても、アキはまるで気付かない様子です。馭者のおじさんも、いつもなら馬目掛けて駆けてくるだろうにと、少し不思議そうに首を傾げました。
不思議そうに首を傾げたのは、馭者のおじさんだけではありません。いつものように遊んでもらおうと、首の綱をギリギリ張って嬉しそうに前足をあげる犬は「クゥン」と鳴きましたし、噴水の水を飲むのをやめて寄っていこうとした野良猫も、「つまらない」という顔をして再び水を飲み始めました。
ぼーっと町を通り過ぎて、帰り道では聞こえてくるはずのない小川の音が聞こえてきた頃でした。突然頭に何かが飛んできて、コツンと音を立て足元に転がりました。アキは学校を出て初めて我に返った気分でした。飛んできた足元の小石を拾い上げ顔を上げると、ケイが「してやったり」な顔をして立っていました。
「まだ帰ってなかったのか、何してんだ?」ケイが尋ねました。「お前の牧場逆だろ」
アキは驚きました。自宅のある牧場へ帰るには、学校を出てから町を通り過ぎ、次は湖を目指さなければなりません。それが、いつの間にかザリガニ川の近くを歩いていたからです。自分でもわけが分からず頭をかくと「ちょっと寄り道」なんて咄嗟にごまかす始末でした。
ケイは“下手くそ”とばかりに小さく笑うと、アキに背を向けザリガニ川の方へと歩いていきました。
「何処へ行くの?」少し先を歩くケイにアキが尋ねました。
「一人野外活動」振り返らずにケイは答えました。
「仲間に入れてよ!」
ケイは無視して歩を進め、アキが諦めて帰るのを待ちましたが、二度目の「仲間に入れて」が聞こえてきましたので、短くため息をつくと振り返らずに手招きしました。すると一目散に駆けてくる音が聞こえてきて、隣でピタリと止みました。
「一人野外活動って何するの?」
「不思議な植物があるって言ってたろ?気になったもんは一人でじっくり見たかった」
野外活動のような自由がきいた時間には、クラスの女の子達がとことんケイに夢中になることを、アキはよく知っていました。おやつを手作りしてくる子、おべんとうのおかずを分けてあげようとする子、いい香り付きのインクやペンを貸したがる子、虫やカエルを見つけては大げさに驚いて助けを乞おうとする子。ケイに夢中な子はたくさんおりました。男の子たちの輪に入ればまだ落ち着きますが、川に敵が来た時にはどう戦えばいい?だの、海賊や山賊になるにはどう特訓すればいい?だの、男の子らしい質問がどんどん飛んできます。みんな、ただケイと話したいだけなのです。
しかしケイはと言えば、反対に一人が好きな男の子でしたから、そんな子達をサラリとかわしては、いつの間にかどこかへ行ってしまうので、クラスメイト達は不思議がっておりました。風のようにいなくなってしまうけれど、授業で困ったことがあると何かと助けてくれますし(ほら、算数の時間で当てられて答えが分からなかった時に、先生に見つからないように答えを教えてくれたり、教室の掃除では自分からバケツに水を汲んで何度も往復してくれたり)その上、ある程度のことは何でも一人で出来てしまいますから、最初は面白くないと思っていた子達でさえ、男女問わずみんな夢中になってしまうのでした。ですから、ケイが授業の途中やレクリエーションで急にいなくなっても、寧ろ「今日はどこで何をしているんだろう、きっと海辺で詩を考えているんだわ」「いやいや、悪い奴をやっつけに行ったんだ!次こそ話を聞きたいな!」なんて、誰もが想像豊かに話すのでした。
「あのぉ…ごめんなさい」
「なにが?」
アキは、明日は出来れば仲良しの友達と同じグループでありたいと思っていたものですから、「一人野外活動」がなんて素敵なアイデアだろうと思いました。しかし自然観察といえばケイも好きな分野です。やはりじっくりと一人で勉強したかったに違いありません。そう思うと仲間に入れてほしかったとはいえ、今更ながらに申し訳ないと思ったのでした。
隣を歩くアキが急に後ろをついて歩くようになったので、ケイは素知らぬ顔で言いました。
「俺さ、本当に一人でいたい時、さっきみたいに呼ばれても聞こえないフリするんだ。…でも手招きしたろ?」
それを聞いたアキはホッとすると、少し早歩きをしてケイの隣に戻っていきました。
「お前、この間のアイツと同じ班だもんな?なんてったっけ、クルクル?」
ケイが誰のことを言っているのか直ぐに分かりました。アキは、間違ったその呼び名に思わず笑うと「そうとも、あのクルクルさ!」とイタズラそうに微笑みました。そしてビルおじさんの時と同じように、ケイにも話し始めます。
「野外活動があるかもしれないってカーラから聞いた時、凄く嬉しかったんだ。ムンクルが同じ班だなんて、おもいきり馬と草原をつっぱして気持ち良かったと思ったら、急に落馬した気分になったんだ…」
アキの例え話にケイは思わず笑いました。アキは口を尖らせると「ケイだって鉄の馬が好きなくせに!」と言いました。
しばらく歩くと、ザリガニ川が見えてきました。そして、オレンジ色の夕日が川辺に差し込んだ時です。川辺で何かがキラリと光りました。二人は最初、魚が跳ねたのかと思いましたが、そんな音はどちらも聞いておりません。目を凝らすと、その光りはどうやら川辺に生えた一本の木から放たれているようでした。ケイとアキは顔を見合わせると、そのまま木の方へ駆けていきました。
なんとそこは、先日に二人でやってきたあの場所だったのです。川の中には、ザリガニ達が突っついたリンゴのヘタがまだ残っていました。木は細いケヤキでした。細い枝と葉の間から、夕日に照らされた何かがキラキラと光っています。ケイが軽く木の幹を蹴ってみますと、いくつかのそのキラキラが足元に落ちてきました。二人はそれを拾い上げると目を丸くしました。先に口を開いたのはアキです。
「カーラの言ってた通りだ、本当にクリスタルの実だ!」
「この間、こんな実は生ってなかったろ?それにケヤキの実だったらもっと小さいはずだ」
その実はまるでドングリのような形をしていました。キラキラとしたドングリの帽子に、クリスタルで出来た丸い水晶玉がはめ込まれたかのような木の実です。二人は、クリスタルごしに夕日を覗いてみたり、川の水につけて更にキラキラ光るのを楽しんでみたりしました。大きさを比べてみたり、指で突っついてみたり、においをかいでみたり。
ケイが手の中でコロコロとさせながらその場に腰を下ろしましたので、アキも隣に腰を下ろしました。秋風が優しく通り過ぎる中、二人はじっとケヤキを眺めていました。
「ケイの秘密基地もケヤキだったよね?あのケヤキにもこのおクリスタルの実は生るの?」
「いや、ケヤキには違いないし、あそこは俺がお前くらいの時からずっと秘密基地としてるけど、今まで見たことないな」
「じゃあ、このケヤキは実はケヤキじゃないのかな?」
「いや、このケヤキが特別な木だってこともありえる。でも…」
ケイは不思議でなりませんでした。ここに立つケヤキのことは前から知っておりました。けれど、いくら思い出してもクリスタルの実を生らせるなんてことは、今までに一度だってなかったのです。ケイはケヤキの実というのはどんなものか知っておりました。サクランボやリンゴの種なんかよりずっと小さいのです。ましてクリスタルなんかでは決してありません。何かの病気、突然変異でなければいいなと思うのでした。
「太陽の雫かな…」手の平で木の実を転がしていたアキが呟きました。
「太陽?」
「うん。お母さんから聞いたことがある。この木の実、ボウシをつまんでクリスタルの実を自分の方へ向けてみると、ほら、太陽の形でしょ?」
つまり木の実を正面から眺めてみますと、なるほど確かに「太陽」のような形をしています。「太陽の雫」というのは、このオリブに伝わる言い伝えの一つでした。かつてこの地を創った神々が友情の証に生み出した結晶石で、触れた者を幸せにするというものでした。大地の恵みや生命の喜びを謳い結晶石は世界各地に降り注ぎましたが、石の力を知り求める者の中には悪用乱用する者も多く、神々はその力を封じ込めてしまったと言います。そして、ある時にだけ…力を発揮させるようにしたのです。
「いけないなぁ、肝心な部分が思い出せない。神様は、どんな時に石の力を発揮させるようにしたんだっけ…」アキは頭をかきました。
「これから家帰ってお母さんに聞けるだろ。明日教えてよ」ケイは木の実をポケットにしまいながら言いました。
すると、遠くの方から誰かがやってきました。ケイはその人影が誰か分かるとサッと立ち上がり、駆けて行きました。人影はケイのお父さんでした。今日も下校の後は訓練をさせるつもりだったのでしょう。真っ直ぐに帰らぬ息子に、父のサミュエルさんは顔をしかめました。ケイもバツの悪い顔をしました。訓練を忘れていたわけではありません。木を確認したら、真っ直ぐ帰るつもりでいたのです。サミュエルさんがため息をつきました。
「訓練のある日は真っ直ぐ帰って来いと言ってるだろ。学校へ行けば先生は「帰った」と言うし、庭師のビルからは「川へ向かったようだ」と言われるし」
「ごめんなさい…。明日、ここで野外活動が決まったもんで、ちょっと下見に…。直ぐ帰るつもりだったホントだ」
ところがサミュエルさんは「口答えはするな」と制しました。ケイはお父さんを怒らせると何かと面倒なことは知っていました。その真面目さ故、訓練よりお説教が長くなるからです。きっとこのまま暗くなるまで立たされ、お父さんの言葉は止まらないでしょう。ケイは「訓練の方がマシだ」と思っていました。楽なことではないですが、時間が過ぎる感覚は、お説教よりも訓練の方が早かったのです。ケイは諦めて深呼吸すると、父の言葉を待ちました。そしてサミュエルさんが口を開いた時です。
「ごめんなさい」二人の足元から声が聞こえました。見ると、アキがケイの後ろから顔を覗かせていました。一気に二人の視線が注がれたアキは一瞬ビクッとしました。特にサミュエルさんの目つきは鋭いものがあったので、ごくりとつばを飲み込みました。
ケイは「余計なことは言うな」とばかりに、手でアキを追い払おうとしましたが、サミュエルさんが「誰だ?」と問うので、その手を引っ込め「クラスメイト。低学年の友達」と答えました。サミュエルさんは、寄り道したあげく年下のクラスメイトを夕方になるまで巻き込んだのかと、一層険しい顔つきになりました。ケイはいつぶたれても良いように歯を食いしばりました。
「ごめんなさい、俺がケイに来て欲しいって頼んだんです…」アキが小さな声でそう言いました。
サミュエルさんとケイは驚いて再びアキへ視線を送りました。
「ケイが言ってることは本当だよおじさん。明日、野外活動になったんだ、自然学習だよ。グループで勉強するんだけど、クジ引きで、苦手な子と一緒になってしまったから、今日お友達と最初に楽しんじゃえって「二人野外活動」を思いついたの。それでケイを誘ったんだけど、用事があるなんて知らなかったんだ。ごめんなさい…」
ケイは口をポカンとしていました。サミュエルさんは視線をケイに移すと「そうなのか?」と尋ねました。目つきも声も怖いままです。ケイは息を吸い込むと「そんなとこ」と頷きました。サミュエルさんは軽く頷くと、アキに視線を落としました。
「人に何か頼む時は、都合を尋ねてからにすることだな坊や」
「はい、気をつけます」
「もうすぐ暗くなる。早く家に帰りなさい。一人で帰れるな?」
「ええ、夜にはつけます」
「夜?君の家は?」
「北の牧場です」
それを聞いたサミュエルさんは眉をひそめました。そして初めてアキの目線の高さまでしゃがみ込んだのです。ケイはそのお父さんの行為に少し驚きました。いつもなら、先程のように腰の後ろに手をまわし、姿勢を崩さずまさに軍人らしく立って人の話を聞いているからです。
「同じクラスで低学年の…何と言ったかな?」
「アキです」
「北の牧場のアキか」
「ええ、次男です」
「そして君のおじいさんはラングホーン博士だろ?」
「…じいちゃんのこと知ってるの?」
サミュエルさんは優しく微笑んで、アキの頭をなでました。
「君のことはよく聞いている。そして博士はおじさんの大の親友だ」
「…おじさん、ひょっとしてサミュエルさん?」
「いかにも」
「わぁ凄いや本当の!?本当のサミュエルさん!?じいちゃんがよく話して聞かせてくれる。サムは頼もしい軍隊の男だって!」
「博士も君のことをよく話して聞かせてくれるよ。動物に植物が好きなところは博士そっくりだそうだな、なるほど」
「会えてうれしいです、このことじいちゃんに知らせなきゃ!…でも、怒られちゃうや。ケイを引き留めて、サミュエルおじさんを困らせちゃったんだもの…」
サミュエルはため息を一つつくと、再び優しく微笑みました。そしてゆっくり立ち上がると、ケイの肩に手を置きました。
「確かに訓練の日ではあったが、ここで困る理由も、怒る理由も無くなったな。訓練鍛錬で戦いに勝ることだけが強さじゃない。親友であるラングホーン博士の大事なお孫に付き添った息子に感謝しないと」
「親父、それ、ほんと…?」
父が頷くのを確認すると、ケイは父に見えぬよう小さくガッツポーズをしました。サミュエルさんは二人についてくるように言うと、車へ二人を乗せ、アキの牧場までゆったり走らせました。片耳にイヤホンマイクを装着すると、車内のスピーカーを少しいじりました。そして電話の呼び出し音が鳴り響くと、スピーカーから応答の声が聞こえてきました。
「こちらラング!どうしたサム、君は今ケイと一緒に訓練へ出かけているのではなかったかな?」
「今日は取り止めだ」
「ほぅ!それでは私が以前話してやったことを実行か?少しはケイに羽をのばしてやる気になったか!」
「そんなとこだ。ビックニュースだぜラング、今あんたの牧場に向かって車を飛ばしてるところだが…俺の車に誰が乗ってると思う?」
「さぁて誰かな?町でべっぴんさんでも捕まえたか!」
「よせよ、息子も乗ってる。もうすぐ着く、外出て待ってろ紹介する」
後ろの座席に座るケイとアキは、顔を見合わせるとニヤッとしました。ケイはアキに耳を貸すよう促すと口元に手を添えました。
「ありがとう、助かった。ていうかお前、そうか博士の孫か!博士は俺もガキの頃から世話になっててさ。俺の親父、博士とは昔から大の仲良しなんだ。孫がいるって話は聞いてたけど、まさかお前がその内の一人だったなんてな。お前の家が牧場だって知ってて、俺なんで気付かなかったんだろ」
「じいちゃんから「サムには息子がいる」っていうのは聞いてたけど、ケイのことだとは俺も知らなかった!ねぇ、明日の野外活動のあとでさ、ケイの秘密基地に行ってもいい?」
「あぁ…明日は多分…」
するとサミュエルさんは咳ばらいを一つ、バックミラーで二人に視線を送りました。ケイは「今度こそ怒られる」と思い、またバツの悪い顔をしました。そしてサミュエルさんは「明日は朝にメニュー盛り込むがいいなケイ。今晩の分と、明日の夕方分だ」と早口に言うのでした。
それを聞いたケイは驚きましたが、直ぐに元気よく返事をしました。サミュエルさんはその元気の良さに静かに微笑みました。どこか大人びたケイの中に、本来の子どもを見たような気がしたのでした。
「良かった!これで明日ムンクルと一緒でも、あとで楽しみがあるから頑張れるぞ!」
「クルクルじゃなかったっけ?」
「あ、そうだよクルクルだ!」
「どっちなんだよ」
ケイにとって、訓練場で眺めていたいつもの夜空は、なんだか今日はとても綺麗に見えました。アキにとっても、なにか特別な夜空に見えておりました。昼間はあんなにガッカリしていたはずなのに、思いがけない幸運を呼んだようです。
それぞれの家へ帰ってきたケイとアキは、「太陽の雫」の力は本当かもしれないと思いました。しかし、だとすれば、石はいつ力を発揮したのでしょう。気になりはしたものの、そんなことはどうでも良いさと言わんばかりに、二人はそれぞれ、ぐっすりと眠りました。