第二話 -栞の日-

 アキはいつもより早く学校へ出かけていきました。アキは、オリブ国の最北端にある牧場の男の子でしたから、いつもより早くと言いますと、夜明けと共に家を飛び出さなければなりませんでした。広い牧場を飛び出し、湖を通り越し、小さな町へ出ると、やっと皆が起き出す時刻です。

 学校はまだ開いていませんでしたが、学校庭師のビルおじさんが花壇の様子を念入りに確認しているのを見つけましたので、アキは駆けていきました。ビルおじさんは、駆けてきた生徒がアキだと分かるとにっこり微笑みました。アキが大の動植物好きというのを知っていましたから、朝早くに学校へ来て、またあれやこれや草花について質問をしてくるに違いないと思いました。ところがアキは、校舎に入れてくれないかと言うので驚きました。訳を聞くと、アキはポケットから革紐についた木彫りのチョウチョを取り出しました。これは昨日に、アキがケイから取り上げた手作りの栞でした。本気で奪うつもりは無かったものの、返すのもすっかり忘れてしまいましたので、朝早くにケイの机の引き出しに返しておこうと思ったのでした。

 それを聞いたビルおじさんは、正直に誤って直接返しちまった方が良いと言いました。しかしアキは昨日ケイをすっかり怒らせてしまったことを思い出し、首を横に振る一方でした。すっかり気落ちしてしまったアキに、ビルおじさんはため息を一つつくと、辺りを伺いました。まだ誰も先生は出てきていません。ビルおじさんは着いてくるよう言うと、アキを裏口の用務室からこっそり校舎の中に入れてやることにしました。アキはお礼を言うと、一目散に教室に入って行きました。ケイの座席は教室の後ろ側です。確かにケイの机だということを確認すると、持っていた栞を机の引き出しに突っ込みました。するとその瞬間、窓の外から物音がしまして、人影が窓の下に隠れました。誰の人影か知りたい気持ちでいっぱいでしたが、それも怖くなったアキは用務室で待つビルおじさんのところに走って行きました。アキは人影のことを話すと、ビルおじさんは言いました。

 「もしこのビルおじさんの目をかいくぐった生徒がいたとして、そいつがお前さんのことを見ていたとしよう。そんならおじさんは先生に謝るとしよう。そいで、お前さんはケイに謝るこった」

 アキは渋々頷くと、気が晴れるまでビルおじさんの庭の手入れを見ていることにしました。しかし人影のことが気になってどうしようもありません。

 登校時間です。校舎へは生徒全員揃ってから、教室へ入るという決まりがありました。すっかり手入れが行き届いた庭の中、先生が校舎の扉を開けてくれるのを皆待っています。アキはビルおじさんに背を押されると、そのまま生徒の輪の中に入って行きました。誰も、アキのことを窓から見たと話す生徒はいません。アキは少し安心してホッと胸をなでおろしました。ふいに肩を叩かれビクッとして振り向くと、高学年のノーマンでした。3つ上の先輩で少しおちゃめなところがありましたが、“どんくさいアキ”とは呼びませんし、いつも優しく接してくれるクラスメイトの一人でした。

 「見ろよ、庭の花も素晴らしいが、今日の彼女もとっても美しいぞ」

 ノーマンはアキの隣に立ち、顎で女子の集まる方を指しました。見ると、一際賑やかな輪の中心に、村娘のオリヴィアが朝の会話を楽しんでいました。しかしアキの頭は“人影”のことでいっぱいです。思わず浮かない顔でため息をつきました。するとノーマンは、小さく頷き「ため息がでちゃう美しさだよな」と別のため息をつきました。

 校舎の扉が開いて、トビンヌ先生がいつもの厳しそうな顔をのぞかせました。トビンヌ先生は優しい女先生でしたが、大変規律に厳しい先生でしたから、笑っていない時は特に、ほんの少し怖く厳しい先生に見えました。生徒たちは、規則を破れば先生のムチが飛んでくることを知っておりましたので、元気よく声を揃えいつもの挨拶をし、ぞろぞろと校舎へ入って行きました。それと同時に、呑気に遅刻ギリギリでやってきたのは、自分より頭一つも二つも背の高いケイでした。顔は見ていないものの、足元に並んだその人影を見るなり、アキはハッとして息を呑みました。何も知らぬノーマンは彼の背中をポンと叩き挨拶しました。

 「セーフだったな、今日も訓練帰りか?いつもご苦労なこった」

 「いいんだ、どうせこれから寝る時間だ」

 ケイは授業中、ボーっとしているか寝ていることが多い生徒でしたが、それでも成績は優秀な方でしたから、アキ達にとっては羨ましい限りでした。

 「おはよう低学年」ケイは視線を合わせず言いました。アキは再びハッとし、咄嗟に言葉を返そうとしましたが上手くろれつが回らず「おーはいあう、あんヒモの…」という、なんともへんてこりんな挨拶になったものですから、先に校舎へ入ろうとしたノーマンに笑われる始末でした。先生は突然笑い出したノーマンのおしりをぴしゃりと叩くと、ケイとアキに早く入るよう促しました。そしてろくに栞のことも伝えられないまま、教室へ入って行くことになったのです。

 アキの席は一番前でした。ケイもノーマンもアキを通り越して後ろの自席へと歩いていきます。アキは真後ろの席に座るカーラに話しかけるフリをしながら、こっそりケイを伺いました。ケイは自席につくと、机の中に手をつっこもうとしました。アキは本日三度目のハッとしました。が、真後ろの席のノーマンに話しかけられたケイは、その手を引っ込めてしまいました。アキがカーラの目の前で項垂れていると、日直であるクラスメイトのムンクルとトビンヌ先生が教室へ入って来ました。トビンヌ先生は教壇につくなり、朝の挨拶も歌も程々に、ケイの名を呼びました。まだ授業も始まっていない中、名前を呼ばれるのにはケイも驚きましたが、その場で返事をすると、先生の次の言葉を待ちました。トビンヌ先生は言います。

 

 「あなたの身の回りで変わってることがあれば話なさい。…例えば、机から何か無くなっているとか」

 アキはごくりと唾を飲み込みました。ケイは訳も分からず適当に辺りを見渡しまし「別に」と首を横に振りました。トビンヌ先生は言います。

 「机の上に落書きは?」

 「いえ…」

 「机の中に何かイタズラとかも?」

 「いえ…、ぁ…」

 ケイが机の中に手を突っ込んだ瞬間に眉間にしわを寄せたのを、ドビンヌ先生は見逃しませんでした。そして「出しなさい」このように言うのです。ケイはゆっくり中身を取り出すと、古びた革ヒモと木彫りのチョウチョが出てきました。

 「それはあなたの?」

 「そうです」

 「それは何?」

 「ただの、本の栞です」

 トビンヌ先生は「わかりました、結構ですよ」とケイを制しました。そして全体を見渡し、誰もが不思議そうに先生を見上げる中、アキだけは俯いてじっとしていることを、今度は見逃しませんでした。そして黒板に向かい、数式を5つ程書き出し「制限時間は15分、みんなはこれを解いて待っていてください。低学年のみなさんは最初の2問目まで、中学年のみなさんは3問目まで、高学年のみなさんは全問とします」そう呼びかけました。クラス全員が自分の鞄から石盤と石筆を取り出し、黒板の数式を書き出す中、トビンヌ先生はケイとムンクルに手招きし、アキに「廊下へ出なさい、あなたに話があります」と小さな声で言いました。ムンクルは喜んで席を立ち、アキは今にも心臓が口から飛び出てしまうのではないかという心地で席を立ちました。先生と三人の生徒が教室から出ていくと、それまで教室に響いていたカチカチ キュッキュという石筆の音が急に止み、面白そうなヒソヒソ話声が聞こえ始めました。トビンヌ先生はその音をも聞き逃しませんでした。一度締めた扉をガラッと開けると、教室全体にまたカチカチ キュッキュという音を響かせ「よろしい」とばかりに小さく頷くと、再び扉を閉めました。しかし生徒たちは、カチカチ キュッキュという音を立たせながら、聞き耳を立てたり、扉の小さなガラスの小窓を懸命にのぞいたりするのでした。

 ケイとムンクルが先生を見上げる中、アキだけはやはり俯いていました。トビンヌ先生は言います。

 

 「さて、朝から変なことをたずねてごめんなさいねケイ。ムンクルから聞いた話なのだけれど、今朝教室の中に人の姿を見たと。その人影はケイの机の近くにいて、机の中を漁っていたという話よ。そうだったわねムンクル」トビンヌ先生に「そうです!」と嬉しそうにムンクルが返事をしました。トビンヌ先生は、いつまでも俯くアキに優しい声で問いました。

 「ねぇアキ?ムンクルは人影があなたのようだったって言うの。先生は見ていないから、ムンクルの話だけであなたを疑うことはしたくないわ。今朝、あなたが早朝から珍しくビルおじさんと一緒に花壇を見ていたのは、先生も知っていますよ。何か心当たりがあれば話してくれない?」

 「入り…ました…」アキは消え入りそうな涙声で言いました。トビンヌ先生に「ほら!」と嬉しそうにムンクル。トビンヌ先生はムンクルを制すると、優しい声で「ケイの机で何かしていた?」と問い、ケイは静かにアキを見下ろしました。アキは小さく頷きました。

「昨日、オレが、コレ…取っちゃって…返そうと思ったんだけど、でも…。ごめんなさい…」そしてアキは静かに泣き出しました。それを見たケイは少し気まずそうな顔をしました。一方「いーけないんだいけないんだ!」と嬉しそうにムンクル。トビンヌ先生はしゃがみこむと、アキに顔を上げるように言い、ハンカチで涙を拭いてやりました。そして、もうひと踏ん張りよ、とばかりに両手をしっかり握りしめ、アキの言葉を待ちました。するとアキは、トビンヌ先生の目をしっかり見つめました。

 「勝手に入って、ごめんなさい。ビルおじさん困らせて、ケイくんの机勝手にいじって、ごめんなさい」

 

 トビンヌ先生は、アキをしっかりと抱きしめてやりました。「頑張ったね、よく言いました。どう、スッキリした?肩の力やっと抜けたんじゃない?」そう微笑むトビンヌ先生に、アキは照れ臭そうに微笑み返しました。

 「俺のせいなんです先生。元はと言えば俺が昨日、コイ…アキくんを怒鳴ったからで…。それできっと、こっそり返そうとした。だろ?」

 

 アキは小さく頷こうとしました。が、ケイを見上げると「勝手に持って帰って、黙って返そうとして、ごめんなさい」と言いました。ケイは小っ恥ずかしいのを我慢してしゃがみこむと、「俺も、ごめんな」と手を差し出しました。アキはその手を取ると、初めてケイに笑顔を見せました。そしてケイも、負けじとイタズラそうに笑顔を見せるのでした。

 トビンヌ先生は腕時計に目をやると、さっと立ち上がりました。「15分になってしまいます、さぁこの件はこれでおしまい。罰則の鞭は今回は無しとしましょう。その代わり、3人にはビルおじさんの花壇の清掃を手伝ってもらおうかしら」それを聞いたムンクルは悲鳴を上げました。自分は事実を報告しただけなのに、何故罰則があるのかと納得がいきません。トビンヌ先生は言います。

 「確かにあなたは何もしていませんよ。早朝に校内へ忍び込んでいた以外はね」

ケイとアキはニヤッとすると、困ったムンクルへ、いかにもイタズラそうな視線を送りました。

 

 花壇清掃を終える頃、ケイとアキはすっかり仲良くなっていました。ビルおじさんにも「兄弟のようだな」と言われるくらい。一人っ子だったケイには弟が出来たようで嬉しい気持ちでしたし、アキもクラスの人気者であったケイと、まさかこんなにお話が出来るなんて夢にも思ってもいませんでした。帰り道の途中、子ども達が“ザリガニ川”と呼ぶ小さな川辺に腰を下ろし、ビルおじさんからこっそりもらったリンゴを食べました。

 「また雨宿りしに行こうかな」アキが言うと、ケイはイタズラにニヤッとして「もうコアラは無しだぞ」と言いました。ケイは残ったリンゴのヘタと種を、ザリガニ川に投げ入れました。それを見ていたアキも真似して投げ入れます。すると小さなザリガニが、ご馳走か?とばかり嬉しそうに寄ってきて、ハサミでヘタと種をつつくのでした。

© 2006.8.18 olive -Akira Sugihara-

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